2008年3月18日火曜日

日本人の名前(筆者注:導入部分)

現代的な日本人の名前は、通常、ファミリーネーム(姓)と、それに続く個人名で構成されている。この名前付けの順序は、中国や朝鮮、ベトナム文化などの、中国文化圏に長らく属していた国々で共通。ミドルネームは一般的に使用されない。

日本人の名前は普通、中国文字を日本式に発音した「漢字」で書かれる。人名に使われるこの「漢字」は、日本語で様々に発音され得るのだが、通常、新生児を命名するとき、両親は平仮名あるいは片仮名を読み方として当てる。平仮名や片仮名で書かれる名前はあまり意味を伴わないので、結果的に名前は漢字になる。(筆者注:最近は平仮名や片仮名でも意味を持つ名前が多いように思われる。)

日本人のファミリーネームには実に様々な種類がある。推定では、今日の日本には、使用されているもので10万種以上の姓が存在する。これはファミリーネームの起源が日本では1870年代と最近であることに起因し、したがってファミリーネームが消滅するにも世代がほとんどないのだ。日本で広く使われているファミリーネームには、佐藤(最も多い)、鈴木(2番目に多い)、高橋(3番目に多い)、そして加藤(10番目に多い)などがある。地域が異なれば、その姓の多さも異なる。例えば知念、比嘉、島袋といった名前は沖縄で広く使用されているが、日本の他の地域ではそうでない。日本のファミリーネームの多くは地方の地形の特徴に由来する。例えば石川は「石の川」を、山本は「山のふもと」を、井上は「井戸の上」を意味する。

名は多く発音や文字の使用法に由来する。男性の名はしばしば「~ろう」(郞「息子」、もしくは郞「明瞭、快活」)や「~た」(太「立派な、太い」)で終わったり、「いち」(一「最初[息子]」)や、「かず」(これも一「最初[息子]」と書かれ、他のいくつかの有り得る文字を伴う)、「じ」(二「二番目[息子]」もしくは次「次の」)や、「だい」(大「立派な、大きい」)を含む。女性の名前はしばしば「~こ」(子「こども」)や、「~み」(美「美しい」)で終わる。(1980年代から、「~こ」で終わる新生児の名前は急激に人気を失い、成人し次第「~こ」を省くような女性もいる。)その他人気のある女性の名前の末尾には、「~か」(香「芳香、香水」もしくは花「花」)や「~な」(奈、もしくは植物を意味する菜)などがある。

原文:Japanese name - Wikipedia, the free encyclopedia

2008年3月17日月曜日

楠木正成

この人名では、ファミリーネームは楠木。

楠木正成(1294-1336)は14世紀の武士で、鎌倉幕府から日本の支配権を奪取しようとする後醍醐天皇のために戦った。

優秀な戦術家、戦略家である楠木は、赤坂と千早で二つの重要な拠点となる城を巧みに守り、後醍醐天皇が一時的に力を取り戻すのを助けた。しかし腹心の一人、足利尊氏は後醍醐を裏切って、楠木や残りの家臣たちへと軍勢を率いた。楠木は天皇に、宗教的聖地である比叡山に避難して、尊氏に京都を取らせることを提案した。山から急襲し、比叡山の僧の助けで尊氏を市中で策略に陥れて、彼を滅ぼそうとしたのだ。しかし後醍醐は都を離れるのに乗り気でなく、楠木が強力な尊氏の家臣団と平原で会戦すべきだと主張した。楠木は、後に究極の武士の忠誠的行動として鑑みられるのだが、天皇の愚かな指令を従順に受け入れ、息子に辞世の句を残し、知りながらもほぼ確実な死に向かって進軍。現在の神戸市中央区に当たる湊川でのその戦いは、戦術的に惨敗となった。楠木は自らの軍勢が包囲されると、生き残った600の兵と共に自害した。伝説によれば、彼の最期の言葉は七生報国であったという。(七生報国;「国のため、七度生まれ変わるなら!」)(筆者注:七生報国の意味がここでは少々誤解されていると思われる。)

楠木正成は、徳川幕府の正学として新儒学(筆者注:朱子学のことか。)が全面的に紹介した後には、かつて北朝方に逆賊と呼ばれたものの、新儒学の理論上、後醍醐天皇と共に中国的な絶対主義者の先駆けとして復活することとなる。江戸時代の間、新儒学の理論に影響された学者や侍たちは楠木の伝説を作り上げ、彼を楠公や大楠公と呼ばれる、忠誠、勇気、天皇への献身を象徴する愛国的英雄として祭り上げた。

その後、楠木は第二次世界大戦の一連の神風特攻の守護聖人(筆者注:キリスト教的な考えで、ゆかりのある特定の何かを守っている聖人。)となる。特攻隊員たちは、天皇のため自らの命を犠牲にするとき、自身を、彼の精神を継ぐ者とした。

原文:Kusunoki Masashige - Wikipedia, the free encyclopedia